テーゼ・・・コペルニクス的転回・・・ルサンチマン・・・レゾンデートル・・・ペルソナ・・・ 中二病を患った人なら誰しもこれら哲学の言葉に心躍ったことがあるだろう
永遠回帰(後述)のような出だしで申し訳ないが、以前に「哲学を一から学ぶ」というテーマで記事を挙げたことがある。
そういうこともあって、哲学に一家言あると思っていたのだが、同僚にやたら現代哲学に詳しい人がいて、その超人(後述)と話していると自分の浅学さを痛感させられる昨今である。
(ちなみに、当ブログで哲学系の記事を書いてみてくれないかとお願いしたことがあるが、無下に断られた…。う~ん、ルサンチマン(後述))
てなわけで、自分の哲学の復習も兼ねて、本記事では個人的にカッコイイと思う哲学用語を3つほど紹介しよう。
参考は↓の書籍。少し古いが、難解な哲学用語を分かりやすい説明で「超訳」しているオススメ書籍。イラストが個性的なのが玉に瑕(笑)。
哲学用語を選ぶにあたって、なぜかニーチェによる言葉のみになってしまったが、別にニーチェ推しというわけでもない(笑) まぁ一環して説明し易かったから良しとしよう。
ルサンチマン
超訳:負け惜しみ
「怨恨」や「妬み」と訳されることが多いが、哲学では通常の意味とは少し異なる。
もともとはニーチェが哲学の用語として用いていた。
ニーチェによると、弱者は実際には強者に敵わないことから、想像上で復讐しようとする。その際に抱く感情を「ルサンチマン」と呼んだのだ。その意味では、「怨恨」というよりも、「負け惜しみ」に近い。
強者は一般的に自らを善いものと評価し、対する弱者を悪いものだと評価してしまう。
当然、弱者は不満をもつ。そして強者を憎む。
でも、弱者には力がないため、実際に強者に楯ついて関係を逆転させることはできない。
そこで、弱者は自らを善いものと思い込むようにするのだ。楯つかないのは自分たちが善良だからだと。また、臆病なのは謙虚であって、服従は恭順なのだといい聞かせる。そして、これこそが弱者を擁護するキリスト教の道徳だというのだ。
ニーチェは、このような転倒した道徳を「奴隷道徳」と呼んで非難した。
そこにはルサンチマンしかないというわけだ。
だからこそニーチェは、こうしたルサンチマンを乗り越えるために、力強くすべてを受け入れようとする「超人」の思想を唱えたのである。
永遠回帰 (永劫回帰)
超訳:同じことが永遠に繰り返される苦しみ
「永遠回帰」とは、世界には意味などなく、永遠に繰り返す円環運動にすぎないということを指す。「永劫回帰」ともいう。
ニーチェによると、人間が悩みをもつのは、人生に意味を求めすぎる点にあるのだ。しかし、この世に絶対的な価値などないのである。
確かに、ヨーロッパ社会を支配していたキリスト教が掲げる価値も、決して絶対的なものではない。古代ギリシャ以来の哲学が提示してきた価値も同じだ。
人間はすぐ新しい価値を求めようとするが、どんな価値を求めようとしても同じことである。結局何も変わらない。
大切なのは、世の中に価値などない、人生に意味などないということを潔く認めることだ。
世の中では永遠に同じことが繰り返されているにすぎない。それがニーチェのいう永遠回帰だ。たとえ生まれ変わったとしても、まったく同じことが永遠に繰り返されるのである。
こうした考え方は、前世での行いが来世に影響するという仏教の輪廻転生思想や、来世では救われるというキリスト教の終末救済思想などとは根本的に異なる。その点に画期性を見出すことができるともいえる。
どのように生きても結局同じ苦しみを味わうに過ぎないというのは、すごく苦痛なことだ。
ただ、むしろその状態を受け入れることではじめて、悪あがきすることなく強く生きていけるようになるとも考えられる。
ここからニーチェの「超人」思想が導かれるのだ。
超人
超訳:決してへこたれない人
通常、「超人」とは人並外れた能力をもつ人のことをいう。
だが、哲学における「超人」とは、ニーチェによる独特の概念だ。彼はドイツ語で「ユーバーメンシュ」と表現しているが、これは英語でいうならスーパーマンとなる。
彼の思想を象徴する言葉の一つに「神は死んだ」というものがある。…といっても実際に神が死ぬわけではない。これはキリスト教批判だ。
なぜなら、キリスト教は愛の宗教と称されるように、弱い人を慰める宗教だともいえるからである。自分の弱さを肯定し、あの世で救われると手を差し伸べてくれる。そのために、救済の主体としての「神」という存在を創造した。
こうして人は、自らの弱さを肯定し、「神」という存在にすべてを委ねてしまうようになる。
ニーチェはその点を批判するのだ。それでは奴隷と同じだと。
だからキリスト教のことを「奴隷道徳」とも呼んだのである。
そして、早くそのことに気づいて、奴隷道徳に頼らずに強く生きていかなければならないと訴えたのだ。そこで、「神は死んだ」と宣言したのである。
人生というのは同じことの繰り返しだ。私たちは辛くともこの永遠回帰をを受け入れるよりほかないのである。生の全面的な肯定が求められるわけだ。
したがって、強く生きていけるかどうかは、永遠回帰を理解した上で、それでもなお「よし!!もう一度」と思えるかどうかにかかっている。
これは誰にとっても一番しんどいことである。同じことを繰り返すのは面白くない。ましてや、それが辛いこととなるとなおさらだ。
ニーチェは、そんなふうに永遠回帰を受け入れることができる存在を「超人」と呼んだ。
もはやこれまでの人類の常識を超えた存在にほかならないからである。
超人…う~ん、カッコイイ…
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ここで紹介したのは個人的にカッコイイと感じたお気に入り哲学用語である。
「いや、○○の方が絶対イイ!!」 「□□□を選ばないなんて、センスないよ!!」
大いに結構!!そうした議論が哲学の花を咲かせるものだ…つってね(笑)
目指せ!!シンプルに超人(笑)!!これぞ賢者への道程!!
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