マクスウェルの悪魔・・・テセウスの船・・・マッハのバケツ・・・シュレディンガーの猫・・・etc.
これらを代表例とするような「思考実験」は、自然科学か人文科学かを問わず、昔から使われてきた。(20世紀後半になってからは、社会学・倫理学・哲学などの人文科学的な話題について用いられることの方が多くなっているかもしれない。)
こうした思考実験が目指すのは、たしかな真理への到達というよりは、ある条件のもとではだいたい妥当と思われるところまでたどりつくこと、というのが本当のところである。
それは、思考実験というものが、実際には実験や観察できないことを、詳細な計算などもせずに頭の中だけでやってみる実験だからだ。
この世界は人間にとってはわからないことだらけ。直接は目に見えず、手でふれることができない未知なるものに囲まれて、私たちは生きている。
しかし、だからといって立ちつくしているわけにはいかない。とりあえずどこかの方向に歩きだすために、人類は未知なるものがなにものなのか、見当をつけてきた。未知なるものの正体に近づくことは、それ自体が大きな喜びでもある。
そのために、人類は思考実験という方法を用いるようになった。そうやって、とりあえず歩き始めてみて、その方向に疑問を呈したり、逆にその疑問に対して反論したりするときにも、思考実験が繰り返されてきた。
そのようにして、人類は世界についての理解の解像度を上げてきたのである。
今回おすすめするのは、そんな思考実験について、科学における知的ゲームとしての魅力を解説している書籍である。この書籍を読むことで、思考実験により科学がどのように動き、どのような原理や法則が確立されてきたのか、そのダイナミズムに思いを馳せることができるだろう。乞うご期待!!
なお本書では、思考実験では何と何をどのように比較すればよいのか、どのような結果を出せばよいのか、・・・といったセオリーも説明している。これらを構成する「仮説」「演繹」「結論」というステップについては、「証明」について解説した下記記事も参考されたし。
さて本記事では、上記おすすめ書籍で取り上げられている思考実験例の中から、個人的に興味深かったものを3つほど紹介しよう。
ここで注意。「シュレディンガーの猫」や「アインシュタインとボーアの光子箱」、「ベルの不等式」などの量子力学における有名な思考実験も本書では解説しているが、それらは量子力学に関する他の記事・書籍で既に取り上げられているため、泣く泣く削った。悪しからず。
これらの「思考実験」としての形式と意味を知りたければ、本書を一読されたし。
トロッコ問題
まずはド定番。哲学者のフィリッパ・ルース・フットが1967年に提出した「トロッコ問題」(あるいは「トロリー問題」とも)を紹介。
突進しているブレーキの利かないトロッコの前方に、5人の線路作業員がいる。 このままでは、5人は轢き殺されてしまう。しかし、それを見ているあなたの目の前には分岐ポイントがあって、それを切り替えればトロッコは引き込み線に導かれ、5人は助かる。 だがそうすると、引き込み線にいる1人の作業員は死んでしまう。 この状況にあなたがいるとしたら、5人を助けるためにポイントを切り替えるだろうか?それとも、何もしないでいるだろうか?
これは、1人の命につき1の価値を与える、いわゆる「幸福算術」によって幸福を計算して代数和を求め、それを最大化するよう行動すべきという「功利主義」について考える思考実験だ。
仮説: 功利主義は正しい 仮説からの演繹: より多くの人が助かる選択をすべきである 操作法的な演繹: ポイントを切り替えるのはためらわれる 結論: 功利主義が採用されるべきかどうかは、状況によって、また個人によって異なる
功利主義という原理にしたがうならば、ポイントを切り替えるべきだろう。しかし、この原理だけでは判断ができない状況はさまざまに考えられる。
例えば、かわりに犠牲になる1人が、5人のように線路の作業をすることで収入を得ている線路作業員ではなく、たまたま線路にいただけだったらどうだろうか。
あなたの判断で、ことさらに死ぬ人々を変更する必要があるのか。あなたにそのようなことをする資格があるのか。
放置すれば5人ではなく、10人が死ぬとしたらどうだろうか。
考えていくと、いろいろな他の基準とバッティングしてきそうである。
機械学習によって自動運転している自動車が、高速道路で10人の命を救うために、運転者であるあなたのいうことを聞かずに高速道路から飛び出して、あなたを殺してしまった。これも、この問題の延長線上の話だ。
機械にトロッコ問題をどう判断させるか、そのとき起こったことの責任はだれに帰せられるのか、という難問である。自動車の製造会社なのか、プログラムの製作者なのか、機械学習をさせた人なのか。そもそも、こうしたケースでは自動運転システムにどのような倫理的判断をするように組み込むべきなのか、といったことが問われるのだ。
このように、思考実験するあなたに、その状況で考えられるさまざまな行動原理のうちから選択を迫り、選択された原理は何か、それを選択したあなたの原理は何かを問うのが、判断や解釈のための思考実験である。
どの原理が正しいということはなく、立場・嗜好・倫理観などによって答えはさまざま。細かな設定や状況そのものを変えてみたりして、あなたがその原理を選んだ理由を探るのだ。もちろん、あなたではなく、ほかのだれかが選んだ別の原理について考察を加えることも。
複数の原理それぞれの本質をあぶり出し、比較検討するのがこの問題の本質である。
チューリング・テスト
上記トロッコ問題のほかにも、判断や解釈のための思考実験として有名なものに、1950年にアラン・チューリングが提案した「チューリング・テスト」がある。
人間とコンピュータに会話をさせる。両者が見えないようについたてを挟んだところにいる判定者に、話しているのが人間か、コンピュータか判定させる。 会話は通常の言語で行われるが、音声の特徴や応答速度が判定に影響しないように、キーボードで文字列を打ち込むことによる通信で行われる。人間もコンピュータも、人間と判定されるように会話をする。 判定者が人間との区別がつかなかったら、そのコンピュータはテストに合格する。すなわち、「知能がある」とみなされるのである。
チューリング・テストのオリジナル版では、女性のふりをする男性と本物の女性の区別をするゲームで、男女どちらかの役をコンピュータにさせるというものだった。現在では、直接コンピュータに会話させるこの設定でよく知られている。
その後、1966年には、アメリカの情報工学者ジョセフ・ワイゼンバウムにより、「イライザ」という会話システムのプログラムが作成された。これは、心理カウンセラーが精神病患者と対話する様子をまねたもので、具体的には患者の言葉をオウム返しのように繰り返したり、意味のない相づちを打ったりするものだった。だが、患者の多くが本物の人間だと思い込んだようで、実際に症状が軽減する患者もいたという。
チューリング・テストの思考実験は、知性とは何かを問うているものではあるが、第三者からみた応答の具合だけで判断しているもので、内面的に「考えている」かどうかまではわからない。(むしろ「考えるとは何か」が大きな難問であるが。)
まして、どのように「感じている」かなどは、判定者には思案の外である。
その意味では「機能主義」の立場といえる。
つまりこの思考実験は、「知能」の有無をどう判定するかについて、どのような状況であれば知能を認めてよいのかを考えるものというわけだ。
ただ、吟味されているのが機能主義という原理だけで、複数の案が問題にされていないという点では、機能主義を批判をするための思考実験と考えられるかもしれない。
仮説: 反応が同じで区別がつかないなら「同じ」であり、「知能」がある 仮説からの演繹: 人間とコンピュータは区別がつかない 操作法的な演繹: テキストベースの会話でも、いろいろな話をしているうちに何か違和感が発見されるだろう 結論: 「知能がある」とは何を意味するのかは、一意的ではない
カルヴィニストの勤勉
遡及因果について、イギリスの哲学者アルフレッド・エアは次の思考実験を提出した。
カルヴィニスト(プロテスタントの一派)は次のことを信じている。 神は人が死後に救われるかどうかを、その人の誕生前に決めている。悪行をしていても、救われる人は救われる。善行を積んでいても、救われるかもしれないが、救われないかもしれない。 それは神のみぞ知ることであり、その人が生まれる前から神の予定で決まっていることなのだ。生まれてから善行を積んで救われようとしても、神はそんなことに影響されない。 しかしそれでは、どうせ何をしても同じだからと、自堕落になる者がでてこないだろうか。 ところがカルヴィニストは、勤勉に働く。 それは、善行を積むことができる私を、神はきっと救われる側に入れてくれているだろうと考えたいからだ。自分自身をそう納得させたいからだ。
彼らが勤勉に働くのは、それが誕生以前に神に救われる側に入れてもらっていた自分にふさわしい行動だからである。
そんな私だから神に救われるのだという、いわば辻褄合わせの行動だ。
今の選択が過去を変えるという「遡及因果」や、未来は完全に予測できるという「決定論」 (あなたの現在の行動が過去の予言とほぼ完全に対応している)に対して、どのように考えるかを問うているわけである。
仮説: 神は人間の生前に救済するかどうかを決定している 仮説からの演繹: 善行は報われないかもしれないし、悪行を重ねても救済されるかもしれない 操作法的な演繹: この仮説を信じる者は勤勉に働いている 結論: 遡及因果を信じる者は辻褄合わせの行動をとる
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ここで紹介したのはおすすめ書籍で取り上げられていた思考実験のほんの一部である。
もっと知りたいと思ったら、本書を一読して、「理学の頂」の山登りに出かけよう。
目指せ!!理学の友人(笑)!!これぞ賢者への道程!!
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