「万物の理論」…Theory of everything
それは、宇宙のあらゆる力を統一し、膨張する宇宙の運動から、素粒子の極微のダンスまで、あらゆる現象をひとまとめに表すメカニズムのことだ。
この世界には、我々になじみのある「重力」と「電磁力」、日常生活では気づくことのない原子内のミクロな現象に関わる「強い核力」と「弱い核力」という、合わせて4つの「力」がある。
だが、宇宙が始まったときにはただひとつの「超力」だけで、それが時間とともに分かれていったことが、20世紀後半以降の素粒子物理学の研究からわかってきている。
課題は、簡潔な数学で物理学のすべてを取り込む方程式を書くことだ。
そんな理論が成功を収めたら、科学の至高の偉業となるだろう。
それは物理学の聖杯であり、理論上、ビックバンから始まり宇宙の終わりに至るまで、あらゆる事象の方程式を導き出せる、ただひとつの数式だ。
古代の人が「世界は何でできているのか?」と問うて以来、はるばる2000年におよぶ科学研究の最終的な成果となるはずである。
…考えるだけでワクワクしてこないだろうか♪
さて本記事では、超弦理論の研究者(超弦理論とM理論の専門書で有名)であり、一般向けにポピュラーサイエンスを何冊も著してきたミチオ・カク先生が、そんな「万物の理論」の有力候補であるひも理論(超弦理論・M理論も含む)を理学的背景もあわせて分かりやすく解説している書籍↓を語ろう。
ただ正直いうと、理論自体なら以前の超弦理論の記事・書籍の方が詳細に書かれている。
そんなわけで、ここでは著者の論点の中でブログ主的にびびっときた内容を紹介しよう。
① 真の「万物の理論」は「十分にイカれて」いなければならない
② 美しさは、科学において大きな力を発揮するが、道をはずれさせることも多い
③ 「万物の理論」が我々の日常に影響を与えるとすれば、それは哲学と思想だろう
無限の剣製 (アンリミテッド・ブレイドワークス)
現代物理学では、量子力学を相対論の重力場で動く物質に応用することしか議論できていない。量子力学をグラビトンの形をとった重力そのものに応用するという、はるかに難しい問題については論じられていないのだ。
そして、ここで最大の問題に直面する。量子重力理論を見つけるという問題であり、それは世界一流の物理学者たちの努力を何十年もくじいてきた。
過去、電磁力・強い核力・弱い核力の3つについては、ファインマン・シュウィンガー・朝永らが考案した繰り込み理論、マクスウェルの場からヤン=ミルズ場への置き換え、トホーフトらが考案した計算手法などによって、標準模型というひとつの理論にまとめられた。
それでも、この実証済みの方法を重力に応用すると、計算結果に無限大が生じる。
これまで70年かけて考案されてきた手段をあれこれ導入しても、すべてうまくいかない。
今世紀トップクラスの頭脳がこの問題を解こうとしてきたが、誰も成功していないのだ。
…つまり…明らかに、まったく新しいアプローチに頼る必要がある。
容易に思いつけるものはすべて調べられ、切り捨てられた。
したがって、真に新鮮で独創的なものが求められており、「万物の理論」は十分にイカれたアイディアでなくてはならないのである。
天地乖離す開闢の星 (エヌマ・エリシュ)
ひも理論に向けられる批判の中には、次のようなものがある。
理論に誇張がありすぎること。美しさだけでは物理学の指針たりえないこと。理論から予測される宇宙が多すぎること。理論を検証しようがないこと。…etc.
偉大な天文学者ケプラーは、かつて美の力に惑わされて誤り、太陽系が正多面体の入れ子に似ているという事実に魅了されてしまった。
これはアイディアとしては美しかったが、結局まったくの間違いだった。
近年、美しさは物理学を誤りへ導く基準だとして、ひも理論を批判する物理学者もいる。
理論にすばらしい数学的性質があるからといって、そこに真理の核があるとは言えない。
それゆえ、美しい理論が行き止まりになることもあるというのは正しい指摘だ。
だがしかし、この批判はある程度妥当だが、ひも理論の超対称性といった要素は、無用でもなければ物理学に適用できないわけでもないことも認めなければならない。
超対称性が存在する証拠はまだ見つかっていないが、量子論にひそむ問題の多くを取り除くために欠かせないことはわかっている。超対称性は、ボソンをフェルミオンで相殺して発散を取り除くことで、量子重力理論を悩ます長年の課題を解決することができるのだ。
美しい理論のすべてが物理学に適用できるわけではないが、今までに見つかっている基本的な物理学理論に、ある種の美しさや対称性が組み込まれているのもまた事実なのである。
今までに美しい理論は何百も否定されてきた。 力の統一や新粒子の理論、新しい対称性や別の宇宙の理論。 それらはどれも、間違い、間違い、間違いだった。 美しさに頼るのがうまくいく戦略ではないのは明らかだ。 (物理学者 ザビーネ・ホッセンフェルダー) 研究者が自然の基本的法則を数式で表そうとするなら、 もっぱら数学的な美しさを追求すべきだ。 (理論物理学者 ポール・ディラック)
個人的な見解としては、美にとらわれ過ぎず、かといって実験的なデータだけに固執するわけでもない、「中庸」であることが新しい道を開くために今再び求められているのだと思う。
…いや、数学的な美しさに憧憬はあるんだけどね。
全て遠き理想郷 (アヴァロン)
現代物理学の歴史として、4つの基本的な力を制することで、自然の秘密の多くが明らかになっただけでなく、文明そのものの運命を変える科学の大革命も引き起こされてきた。
ニュートンが運動の法則と重力の法則を打ち立てると、産業革命の礎が築かれた。ファラデーとマクスウェルが電気と磁気の力はひとつのものだと明らかにすると、電気の革命が幕を開けた。アインシュタインやボーアなどの量子物理学者たちが、現実の本質は確率論的で相対論的であることを示すと、今日のハイテク革命の火蓋が切られた。
しかしいまや、4つの基本的な力のすべてを統一する「万物の理論」への収斂が成し遂げられつつあるのかもしれない。
そこで、この理論がついに完成したと仮定してみよう。
厳密な検証を経て、理論が世界中の科学者にあまねく受け入れられたとする。
そうしたならば、我々の暮らしや考え・宇宙観にどんな影響があるだろう?
…日常生活への直接的な影響については、無きに等しいだろう。
万物の理論に対する個々の解は、まるごとひとつの宇宙を表している。
したがって、理論が現実に意味をもつのは、エネルギーがプランクエネルギーに達する場合で、それは大型ハドロン加速器が生み出すエネルギーの1000兆倍に相当する。
つまり、万物の理論の規模をもつエネルギーは、宇宙の創成やブラックホールの謎とは関係するが、我々の暮らしとは無関係なのである。
万物の理論が我々に影響を与えるとすれば、それは哲学的なものかもしれない。
この理論は、偉大な思想家を代々悩ませてきた深淵な命題に、ついに答えられる可能性があるからだ。例えば、タイムトラベルは可能か、宇宙創成の前に何が起きていたのか、宇宙はどこから出てきたのかといった問題である。
もし我々が完全な理論を発見すれば、 その原理の大筋は少数の科学者だけでなく、 あらゆる人にもやがて理解可能となるはずだ。 そのときには、 我々すべてが…哲学者も…科学者も…ただの人たちも、 我々と宇宙が存在しているのはなぜかという問題の議論にも参加できるようになるだろう。 もしそれに対する答えが見いだせれば、 それは人間の理性の究極的な勝利となるだろう。 なぜならそのとき、神の心を我々は知るのだから。 (『ホーキング、宇宙を語る』スティーブン・W・ホーキング)
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ここで紹介したのは万物の理論を巡る物語のほんの一節である。
もっと知りたいと思ったら、専門書を片手に、「量子の海」へ漕ぎだそう。
目指せ!!新大理論発見(笑)!!これぞ賢者への道程!!
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