テーゼ・・・コペルニクス的転回・・・ルサンチマン・・・レゾンデートル・・・ペルソナ・・・
中二病を患った人なら誰しもこれら哲学の言葉に心躍ったことがあるだろう。
だが心して欲しい。哲学は決してカッコイイ専門用語を連ねているばかりではない。
それは、古代から続く「根源への問い」をただひたすらに考え続ける学問領域なのだ。
そんな哲学を一から学ぶにあたってのポイントを3つ挙げるとすれば
① 哲学を知るには歴史を知るべし
② 西洋と東洋で思想体系が違う
③ さまざまな学術分野を取り込んで今なお進化している
さてさて、これらをかいつまんで説明しよう。
フロー型の問答、ストック型学問体系
極論を言おう。哲学は古代の暇人の物憂げな思想から始まった。
「真理」とは何か? 「存在」とは何か? 「神様」とは何か?
今を生きるのに精一杯の人がこんなことを考える暇などない。
歴史を紐解けば、文明が栄え始めた古代では、「有力な階級」と「従う階級」が分かれていた。
それは「貴族」と「奴隷」であったり、「祭司」と「一般人」であったりと文化によって様々だ。
ただ共通していることとして、暇な方は贅沢三昧する他にやることがないのである。
そんな折にふと考える・・・「生きる意味とはなんなのか?」
そうして始まった根源への問いに、人から人へ、師匠から弟子へ、先人から後進の者へ、あーだこーだと「問い→答え→肯定と否定→新たな問い→・・・」と繰り返される思考の螺旋。
哲学の全体像をつかむには、まずこうした「問答」の歴史を知るのが一番である。
努力型の西洋哲学、天才型の東洋哲学
様々な学術分野に渡って西洋と東洋では辿ってきた歴史が違う。
哲学も同様で、ざっくり言うと、
西洋:真理・神・国家について問う。自己の外界を思考する。
東洋:意識・存在について問う。自己の内面を思考する。
こんなすっぱり綺麗に区別できるわけではないが、概ねはこんな感じである。
「外」と「内」という主眼要素の違いもあるが、西洋は自己の「外」を一つ一つ分析的に思考構築していったのに対し、東洋は自己の「内」を閃き的に考察していった。
437という数字に対して、√437までの素因数分解を順々に試行錯誤するのが西洋なら、いきなり19×23と答えを思いつくのが東洋ということである。
どちらが良い悪いではない。結局、なぜそう考えたかという過程が重要なのである。
この背景の違いが様々な書物の「問答」に表れており、それぞれに味があって面白い。
最新型の疑問を吸収、型破りの領域へ
現代数学では「不完全性定理」により、決して解けない問題構造の存在が明らかになった。
量子力学では「存在の同時性」について今なお解釈に議論がなされている。
国家の理想論はついに資本主義と社会主義へと発展し、歴史と未来に解を委ねている。
こうした他の学術分野の発展は抽象的・根源的な問いを新たに生み出し、哲学はそうしたテーマを吸収して、今なお思考の螺旋を拡大させているのだ。
そんな哲学を一から学ぶとしたら、まず下記のインプットをおすすめする。
哲学・・・古代から西洋と東洋それぞれで連綿と続く、根源への問いと思考の螺旋
そんな哲学を一から学ぶなら…この記事ではその一歩目におすすめの本を紹介した。
ただし注意!!これらはインプット!!
こういう思考系の内容をアウトプットするには、やはり人との対話が一番。
専門書でさらに深く習熟し、古代ギリシャよろしく議論に花を咲かせましょう。
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