突然だが、『ドランク・インベーダー』という漫画↓はご存知だろうか?
中世ヨーロッパレベルの酒造技術しかない世界に、現代のお酒を持ち込んだら…。
ある日、異世界と行き来できるようになってしまった日本。
異世界の広大な土地や資源を手に入れたいと考えた政府は、「武力」ではなく、現代の「お酒」で異世界の人々を支配することを目論む。
この計画に巻き込まれた、無類の酒好きダメ大学生・トウジ。
彼は、自分が持つ圧倒的な酒の知識と技で、政府の計画を阻むことができるのか!?
(Amazonの説明文より)
連載期間こそ短かったが、『たくのみ。』と並んでブログ主のお酒に関する情報源となった漫画である。これら影響で、ブログ主は隙あらば飲み会の場でうんちくを語るイタい人物になってしまった。どうしてくれるんだ!!(責任転嫁(笑))
話は変わって、先日、旧知の悪友(笑)と会ったときに、
「鉄さん、Rootportさん(ドランク・インベーダーの原作者)の新書が出ますよ!!」
……と紹介されたので、即購入♪↓。
おすすめされた書籍をおすすめするというのもなんだが、以前に取り上げたAIに関する書籍と同様に、AIに対する見聞や考え方の拡張になったので、これは取り上げねばと。
生成AIは人類社会を変える発明だと言われています。
では、どれほど変えるのでしょうか?
過去の発明に比べて、どのくらい変えるのでしょうか?
歴史を振り返ると「人類社会を変えた発明」と呼べるものがたくさん見つかります。
ここでは便宜上、大きく4つのジャンルに分類してみましょう。
① 人類の生理学に影響を与えて、生物学的に進化させた発明
例:火の管理、酪農、抗生物質、組換えDNA技術、体外受精
② 情報を民主化した発明
例:文字、活版印刷、インターネット、レコード、映画
③ 人類にはできなかったことをできるようにした発明
例:船、飛行機、イヌ・ネコの家畜化
④ 人類にできることをより効率よくできるようにした発明
例:ウマの家畜化、蒸気機関、コンピューター
現在の生成AIは④だと見做せるでしょう。
LLM (Large Language Model:大規模言語モデル)は「言葉を別の言葉に変換するタスク」を効率よく行える装置だと私は考えています。また、画像生成AIは(品質の面では人間のクリエーターにまだ及びませんが)生成の速さと量では人間を凌駕しています。翻訳も資格試験もコーディングも、あるいは絵画や音楽などの創作活動も、人間がもともとできる作業です。
現在の生成AIは、それらをより効率よく実行できる発明品だと言えるでしょう。
(本書「はじめに」より抜粋、一部編集)
さすがRootportさん♪ のっけから引き込んでくれる♪ お酒がすすむぜ(笑)
前記事と多少なりとも被る考え方だが、AIの本質は「人間社会を映す鏡」であり、我々の大多数が思うことの「答えっぽいもの」を、より効率よく速く大量に作る装置にすぎないのだ。
ただし…
最初は人類にできることを代替するだけだった発明でもとことんまで進歩すると、不可能を可能にする発明へと姿を変えます。
生成AIも進歩の果てには、月面着陸並みの不可能を可能にするかもしれません。
早くも化学分野では、新しい有機分子の設計をAIに行わせる試みが進んでいます。医薬品の開発が高速化すれば、遠い未来ではあらゆる疫病を根絶できるかもしれません。材料科学が発達すれば、ゴミ問題は終結するかもしれません。大規模な経済・社会統計データをAIで処理すれば、飢餓や貧困を無くせるかもしれません。
一方、悲観的な考え方もできます。
どれほど素晴らしい発明でも、経済的利益がなければ普及しないからです。
現在の生成AIが、素晴らしい技術革新であることは間違いありません。とはいえ、「ありとあらゆる職業がAIに代替される」と断言することは早計でしょう。
人間を使ったほうが安上がりな分野では、AIで代替することに経済的利点がありません。そういう分野では、生成AIは「アイオロスの球」や平賀源内の「エレキテル」のような、『興味深いおもちゃ』にしかならないでしょう。
たしかに生成AIは驚異的な発明です。
しかし、人類社会が「驚異的な発明」と出会うのは、今回が初めてではないのです。
むしろ人類の歴史は、驚くべき技術革新の連続でした。
そうした発明に出会ったとき、人々はどのように反応し、社会はどのように変わったのか…。それを調べれば「生成AIはこの世界をどう変えていくのか?」という疑問にヒントを得られるはずです。
反面、「今回だけは別」という主張もありえます。
生成AIは過去のどのような発明品にも似ていないという仮説です。
この仮説の是非を検証するためにも、やはり歴史をふり返らざるをえません。
未来に占うために、過去への旅に出かけましょう。
(本書「はじめに」より抜粋、一部編集)
さてさて、本書積ではそのような過去の「驚異的な発明」として、
1. 火の発明 ~ヒトをヒトたらしめたテクノロジー~
2. 文字の発明 ~時間と距離をゼロにする~
3. 活版印刷の発明 ~真の破壊的イノベーション~
4. 科学の発明 ~世界を変えた印刷物~
5. 鉄道の発明 ~マルサスの罠を打ち破る~
※マルサスの罠:人口増加と食糧増産のギャップにより貧困が生じるという現象
6. コンピューターの発明 ~思考を代替するデバイス~
7. インターネットの発明 ~情報の民主化の功罪~
…これら7つの発明史を取り上げ、続く終章「AIは敵か?」で生成AIがもたらす影響や、生成AIとすすむ未来について考察している。
え? これら7つについて語れって?
そうしたいのはやまやまだが、いかんせん記事の分量がえらいことになってしまう。(決してサボっているわけではない、いやホントに(笑))
そこで本記事では、書籍内で論じられたAIに関連する項目の中で、ブログ主のお気に入りのトピックを3つ紹介していこう。7つの発明史については書籍を読まれたし。悪しからず。
「無断学習」は泥棒なのか
生成AIは、オンライン上の膨大な著作物を学習データとして用いているものが珍しくない。
そうした著作物の権利者に、利益を還元すべきではないかという議論がある。
中には、生成AIはいわば「コラージュ生成マシン」で、学習データに含まれていた画像や文章を「切り貼り」しているだけだと主張する人もいる。
そうした視点に立てば、生成AIは存在そのものが著作権侵害の産物ということになるのだ。
ここで、
「仮に利益還元があるとして、どれほどの報酬をもらえるのだろう?」
という疑問が浮かぶ。
膨大なデータのうち、個人単位の著作物が占める割合はどれほどか?
何億分の一? 何百億分の一?
もしも収益が還元されたとして、年間で数円もらえたら良いほう…
そんな状況になるのではないだろうか。
であれば、生成AIをオープンソースで(少なくとも無料で)利用できるようにしてほしいと思う人は多いと推測される。数円足らずの報酬を得るのに比べて、そのほうがよほど利益が大きいからだ。
もちろん万人に受け入れられる考え方ではないことは百々承知だが、「生成AIを手軽に使えること」そのものが最大の利益還元であるともいえるだろう。
ちなみに、生成AIは「コラージュ生成マシン」だという主張は完全に間違っている。
生成AIの仕組みを理解していないことによる誤解にすぎない。
例えば、Stable Diffusion v1.5は約58億枚からなる学習データからトレーニングを行ったが、その心臓部であるモデルデータは約4ギガバイトしかない。
計算方法にもよるが、画像1枚あたり1~2バイトしか記憶していないのである。
コンピューターの世界では、半角1文字あたりの情報量が1バイトで、こんな情報量ではとても「切り貼り」できない。
学習データセットに含まれていた画像の「断片」を覚えているわけではないのだ。
喩えるなら、生成AIは画像の「断片」ではなく、画像の特徴を「概念」のようなものとして覚えているのかもしれない。
だからこそ、学習データ1枚あたり1~2バイトというわずかな情報量で、高精度の絵を描くことができるのであろう。
アーティストの仕事は技術革新に強い
生成AIの発展により失われる仕事は、残念ながらたくさんあるだろう。
しかし、アーティストの仕事は失われないどころか、むしろ表現の幅が広がり、より豊かになる可能性を秘めていると筆者は考えている。
生成AIの現状を鑑みれば、これは的外れな妄言だと思われるかもしれない。
なぜなら現在の生成AIブームは、創造的な活動……画像生成、文章執筆、音楽や動画の生成など……を得意とするAIから始まったからだ。
それでも歴史を振り返れば、娯楽や芸術は技術革新に対して高い耐性を持っていることが分かる。
娯楽や芸術は、通信や運輸とは違う。
例えば、インターネットがあれば伝書鳩は要らない。
自動車があれば馬車は要らない。
けれどアーティストの仕事はそういうものではないのだ。
写真が発明されたからといって、絵描きは絶滅しなかった。むしろ印象派やキュビズムなどの、写実主義から離れた表現が探究されるようになったのだ。
レコードやラジオの登場は、酒場でバイオリンを演奏してお捻りをもらうというビジネスを脅かした。それでも、ジャズバーやディナーショーというビジネスは失われていない。それどころか、音楽は巨大産業として花開いた。
映画が発明されても演劇は廃れなかった。
テレビが発明されても映画は生き残った。
新しい技術が生まれても、古い表現方法が即座に失われるわけではない。
むしろ大抵は、表現の選択肢が広がるだけだ。
アーティストの仕事は、ある側面では経済的合理性の埒外にある。安く経済的に作れるからといって、それが需要に繋がるとはかぎらないのだ。
例えば初音ミクがあれば、人間の歌手を雇うよりも安上がりに歌を演奏できる。しかし、高い費用がかかるとしても人間の歌を聴きたいという需要がある。あるいは画像生成AIがあれば、マンガのコマを安上りに埋めることができる。しかし、たとえコストがかかっても、人間のマンガ家に描いてもらったほうが、はるかに素晴らしい仕上がりになる。
機械にしてみると、人間ではないことは究極の限界の一つだ。
そのせいで、機械は人間というオブジェクトをモデル化して予測する試みで本質的に不利な立場に置かれる。
ヒトの脳はどれもよく似ていることから、私たちはそれを用いて他人の心中や感情をシミュレーション……言うなれば体験……できる。
この機能は私たちはタダで手にしている。
(スチュアート・ラッセル『AI新生 人間互換の知能をつくる』みすず書房(2021))
結論に至る細かい議論は本書を読まれたしだが、
「創造性に欠落があること」 「ヒトの感情を理解できないこと」
この2つの点を克服できないかぎり、機械が人間アーティストを駆逐することはないだろう。
現在の生成AIには、生成物を評価して加筆修正する人間のオペレーターが必須だ。むしろ、生成AIを用いた新たな表現の選択肢が増えていくだろう。
アーティストの仕事が消失するという主張は、生成AIの能力を過大評価し、人間の潜在能力を舐めている。人間は伝書鳩でも馬でもないのだ。
権力者や資本家による「AIの独占」を警戒せよ
本書の第5章『鉄道の発明』でも考察されているが、歴史上、支配的な階級の人々は技術革新を嫌ってきた。技術革新のもたらす経済・社会構造の変化は、彼らの支持基盤を揺るがし、権力を失うリスクを高めるからだ。
活版印刷機を拒絶したオスマン帝国の歴代君主、靴下編み機を許さなかったエリザベス1世、旗振り通信を取り締まった江戸時代の役人…etc.
産業革命が始まっても、東欧やロシアの支配者たちは鉄道の敷設に反対し、現状維持に腐心した。結果、国際競争の中で出遅れて、結局、権力を失うことになった。
産業革命後の世界の特徴は、人類が「科学は儲かる」と気づいた点にある。
そしてそれだけでなく、支配者たちが科学技術の重要性に気づいた時代でもあるのだ。
現代の権力者は、前時代のように技術革新を拒絶することは滅多にない。
その代わり、それを規制して、自らの権力を脅かすような研究がなされないように軌道修正し、得られる利益を独占したいというインセンティブを持つ。
したがって、我々一般庶民の立場では、権力者によるAIの規制と独占にこそ注意を払うべきだろう。
もちろん、AIに対する規制や監視がまったく必要ないとは思わない。
現在の生成AIも、すでに様々な悪用の方法が発見されている。一見すると無害そうな翻訳AIですら、国際的なスパムメールに応用されている。この先、翻訳の精度が上がり、得られる表現が自然になるほど、詐欺を見破るのは難しくなるだろう。
より深刻なのは、権力者がAIを悪用した場合だ。
旧東ドイツの国家公安省、通称『シュタージ』は「歴史上最も実効性が高く抑圧的な諜報および秘密警察機関の1つ」だったと見做されている。
彼らはあらゆる場所に隠しカメラや盗聴器を仕掛け、手紙を検閲し、200兆ページに達する紙の記録を残した。
就労人口のじつに4分の1がシュタージ要員だったという推計もあるのだ。
旧東ドイツは、人間の能力だけで実現できる監視社会の上限に近いだろう。
しかし、AIを用いればこれを超える監視社会を作れる。「国民全員を24時間監視する」という独裁者の夢は、現在のデジタル技術を用いればすでに表現可能なのだ。
このように、AIの技術には様々な悪用方法が想定される。
それでも筆者は、免許制や許可制には賛同できないという。
なぜなら、AIから得られる利益を独占したい権力者や資本家に、絶好の口実を与えてしまうからである。それは人権の蹂躙や経済的格差の拡大に繋がるのだ。
AIの研究および利用は、できるかぎり民主的かつオープンであるべきである。
したがって、規制や罰則を設けるにしても、「AIを研究すること」や「AIを使用したこと」ではなく、AIを使った行為の「結果」に設けるべきだろう。
たとえば、スタジオジブリ風のイラストを生成できるAIを作ったとしても、自宅で私的に楽しむぶんには許されるべきだと思う。
しかし、贋作を販売することは、AIで生成したものだろうと人間の腕で描いたものだろうと、当然罰せられるべきだろう。
AIの技術は、権力者や資本家に独占させるべきではない。
誰もが自由に研究して使用できる。
そして、万が一悪用した場合は、その結果に応じて罰せられる。
そういう技術であるべきだ。
オマケ:知能爆発とスケーリング則
「3つのトピック」とか言っておいての、まさかの追加トピック。
ちょっとした豆知識でもあるので、許されたし(笑)
2014年にAIの安全性研究を行う非営利団体「FLI (Future of Life Institute)」が発足し、2017年1月にはカリフォルニア州アシロマで世界中のAI研究の第一人者たちが集まり、安全で有益なAIの研究指針である「アシロマAI23原則」を制定した。
この時代には、「知能爆発」という現象が真剣に懸念されていた。
コンピューターはヒトの脳よりもはるかに高速で動作する。
そのため、もしもAIが自らのプログラムを自分自身で改良できるようになったら、人間のプログラマーなら数年~数十年かかる進歩をわずか数時間~数日で達成してしまうのではないか……。
あっという間に人間よりもはるかに賢い存在が生み出されて、手がつけられなくなるのではないか……。
その危険性が指摘されていたのである。
「知能爆発」が懸念された背景の1つには、近い将来にハードウェアがソフトウェアよりも速いペースで性能向上して、超知能AIが誕生した時点で充分すぎるほどの計算資源を利用できるようになっているという予測があった。
超知能AIを動かすだけでも、高性能なハードウェアが必要だ。それが行政機関や金融機関をハッキングすることにも、株価を予想することにも、3DCGを生成することにも、それぞれ莫大な計算能力を要するはずである。
わずか数時間~数日で超知能AIが人間の手に負えない存在になるというシナリオは、無限に等しいほどの計算資源がすでに存在し、超知能AIがそれに常時アクセスできるという前提に基づいている。
2024年の現在では、このような「知能爆発」の前提は成り立たなくなりつつある。
2010年代は機械学習に基づくAIが驚くべき成果を挙げつつあった反面、それが将来的にどれくらいの計算資源を有するのか、まだ明確には分からなかった。
だが、現在のLLMには「スケーリング則」があることが知られている。
学習データを大きくするほど、またニューラルネットワークのパラメータを増やすほど、性能が向上すると判明したのだ。
(LLMの略語の忘れた、そんなあなたために復習(笑)
Large Language Model=大規模言語モデルのこと)
そのため、現在のAI研究は(特にLLM分野では)マネーゲームの様相を呈している。
より高額の資金を用意できた企業や研究所は、より多くの計算資源を利用でき、AI研究で優位に立てるのである。
AIに利用する高性能なGPU(Graphics Processing Unit:リアルタイム画像処理に特化した演算装置)の供給が足りず、世界中で奪い合う状況になっている。
「超知能AIが無限に等しい計算資源に常時アクセスできる」という前提は、現実味を失いつつあるだろう。
…とはいえ、スケーリング則がこの先も破られないという保証はない。
ごくわずかな計算資源で超知能AIを実現するブレイクスルーが、こうして記事を書いている今この瞬間にも発表されてしまうかもしれない。(されてなかった(笑))
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さてさて、最後におすすめ書籍の終章の一節を紹介しよう。
AIは敵か?
ヒトはテクノロジーと共生できるのか?
…という問いは、歴史を無視しています。
そもそもヒトは、テクノロジーと共進化してきた動物です。
ヒトとテクノロジーとは対立する概念ではありません。
テクノロジーは、ヒトという存在を構成するものの一部です。
これが本書の結論です。
これからもヒトと機械は共生します。
それは必ずしもサイボーグ化を意味しません。
ヒトが「新たなテクノロジーのある環境」に適応するだけです。
今まで、何十万年もそうしてきたように…。
これが私の未来予想です。
シビれるぜRootportさん♪ この知的充足感を肴にお酒が飲みたい(笑)
共に生きよう!! テクノロジーと!! AIと!! これぞ賢者への道程!!
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