数学は理系であるにもかかわらず実験がないこともあり、数学者の研究生活は他の分野の研究者とかなり異なっている。
最近の日本の大学や学界についての危機感はもちろん共有しているが、他の分野の研究者の言うことを聞いても、我々とは仕組みや感覚が違うと感じることが多い。
大学の会議や各種委員会でも自分たちは少数派だと思わされることが少なくない。
そこで本書では数学者の立場から、研究や大学のありかた、社会とのかかわりなどについて考えたことを書いてみた。
あまり人と同じことを言っても仕方ないので、できるだけ他の科学者とは違うことを書こうとしたつもりである。
私の意見が全部、数学者を代表していると言うことはもちろんできないが、数学者ならではの思考法といったものは反映されていることと思う。
(本書「まえがき」より抜粋)
さてさて、前回に引き続きおすすめ書籍↓から取り上げたトピックを早速紹介していこう。
なお、引き延ばし予告で申し訳ないが、またも全トピックは紹介しきれなかったので、次回に続きます。シリーズ化しちゃって↓、サーセン(笑)
数学研究とフランス語
数学以外の科学研究者に言うとよく驚かれるが、数学では今でもフランス語で論文を書く人たちがけっこういる。
たとえば2002年にフィールズ賞を取ったローラン・ラフォルグの場合は、全論文の9割くらいがフランス語である。
30~40年前は今よりももっとフランス語の書籍や論文が多かったし、数学ではそれぐらい前の書籍や論文を読む必要は普通によくあるので、フランス語が読めないとかなり不便である。
重要な結果でフランス語文献にしか載っていないものもいくつかある。
特に代数学分野では顕著である。
私がチーフエディターをしている2つの数学のジャーナルでは、投稿規定に英語の論文に限ると書いてあるのだが、実際にはフランス語の論文が投稿されてくることが時々あり、普通に査読に回して、通ったものはそのまま出版している。
私もフランス語の論文の査読をしたことがある。
著者曰く、フランス語に比べて、現代数学の研究生活におけるドイツ語の重要性は低い。
フランス語の専門書や論文を読む必要があったことは数えきれないほどあるが、ドイツ語については論文1回だけとのこと。またフランス語の講義・講演を聞いたことは何度もあるが、ドイツ語では1回もないと。
ドイツは、ガウス、リーマン、ヒルベルトなどの偉大な数学者を輩出し、世界の数学の中心であった時代も長いことを思えば不思議なことであるが、第二次世界大戦後にドイツ数学の影響力は大幅に低下したように思われる。
今でも一般には、ドイツは科学技術の国で、フランスは文化や芸術の国だというイメージが強いのではないだろうか。
大学の第2外国語選択でも、理科系ではフランス語選択者より、ドイツ語選択者の方が多い。著者が学生のときは東京大学理科系の両者の選択者数の比は1対3くらいだったらしい。
もっとも最近では選択肢が多様化して、中国語やスペイン語の選択者も大きく増えている。
現在、数学研究で世界一の国はアメリカだが、二番目はフランスだと思う。
しかもアメリカは外国出身の数学者を大量に抱えているのに対し、フランスの主力は自国出身者であることを思えば、研究者養成実績ではフランスが世界一なのかもしれない。
フィールズ賞の出身校を(大学院ではなく)大学で見れば、世界一はパリの高等師範学校(ENS)である。
大学の仕組みもドイツとフランスは隣国なのにかなり違う。
ドイツでは大学進学者振り分けの大部分が早期に行われるため、大学進学時の競争は激しくない。
また大学間の格差も小さく、特定の大学に入るための受験勉強に励むということもあまりない。
一方フランスには特別エリート大学(グランゼコール)があり、そこに入学するための激烈な競争がある。
日本の大学入学試験についてよく言われることから考えると、ドイツの方が優れたシステムのようだが、現代の数学研究者の養成に成果を挙げているのはフランスの方である。
ルーマニアの数学
この夏にルーマニアのティミショアラで開かれたコンファレンスに参加してきた。
私がルーマニアに行ったのは8年ぶり14回目である。
ルーマニアについてはあまり科学技術先進国というイメージはないと思うし、国民1人当たりGDPも日本の半分以下である。
しかし数学ではかなりの有名研究者が出ており、私の専門である作用素環論では、フィールズ賞受賞者こそいないものの、すぐ次のレベルの人が2人いる。
さらにその次のレベルの有名数学者も何人もおり、世界トップ級の重要国である。
私もルーマニア人数学者に大きな影響を受けている。
(ただし、これら有名数学者はみなアメリカをはじめとする先進国に脱出しており、現在のルーマニアにはいない。)
(注:著者がエッセイ記事を投稿した2022年11月時点)
なぜルーマニアが経済状況のよくない中で、このような高い研究水準に達することができたのかは興味深い問題であり、以下に著者の考えを取り上げよう。
まず、旧共産圏は一般に数学や理論物理学の研究水準は高かった。
教育がしっかりしていれば、どこの国でも数理系の高い能力をもった人材はある程度育つ。しかしながら、旧共産圏では、自動車やコンピュータの開発などにそういった才能を生かすことができなかったので、基礎科学…中でもお金のかからない数学や理論物理学に優秀な人が集まったのだと思う。
(このほかに軍事研究でも、旧共産圏は優秀な人を集めていたのはご存知だろう。)
芸術やスポーツの分野でも、旧共産圏には商業的なスターはいなかったが、クラシック音楽やオリンピックでのレベルは高かったことも似た話だ。
世代的には上の話題だが、女子体操金メダリストのコマネチもルーマニア出身である。
さて私の専門の作用素環論の場合、ルーマニアの活躍に特有の理由は私の知る限り主に二つある。
一つは1989年のルーマニア革命で銃殺されたチャウシェスク大統領の存在である。
ルーマニアは今(※)の北朝鮮のような閉鎖的独裁体制を敷いていたのだが、大統領の息子が物理学者、娘が数学者であった。
さらに娘の専門は私の専門の作用素環論とごく近かった。
そのため私の分野の研究者は特別扱いを受けて優遇されていたようである。
作用素環論の主要学術雑誌「Journal of Operator Theory」はルーマニアの研究所が発行しており、革命以前は表紙にこの娘の名前が責任者として印刷されていた。
私は革命前のルーマニアに行ったことがないのだが、その頃に行った人の話だと、コンファレンスに現れた娘には共産党幹部がぴったりとくっついていて、特別待遇だったと聞いた。
もう一つの理由は国際数学オリンピックである。
これは高校生以下が数学の問題を解く競技大会だが、旧共産圏では古くからこれに力を入れてきた。
私の専門分野のルーマニア人数学者たちは国際数学オリンピックメダリストだらけであり、昔一緒に国際数学オリンピックに出たとか、国際数学オリンピックのために訓練合宿で指導したりされたりといった関係があちこちにある。
国際数学オリンピック出場者(一国から1年に6人まで)は、国内トップのブカレスト大学に無試験で入れるのだそうだ。
「頭の良さと研究 (*)」にも書いたように、高校生のときのこのような問題を解く力と数学の研究能力はそれほど高い相関があるわけではないが、それでもそれなりの関係はある。
こうやって数学オリンピック出場者を特定分野に集めて訓練すれば研究成果が実際に上がるのであろう。
(※繰り返しで申し訳ないが、著者がエッセイ記事を投稿した2022年11月時点)
(*本書掲載記事。読みたい!…と思ったそこのあなたは、記事冒頭↑のリンクから書籍の購入を推奨する(笑))
これは研究支援の手段として評判の悪い「選択と集中」であり、そして著者も「選択と集中」は基礎科学振興のために全然有効ではないと思っているらしい。
だが、このような独裁体制下の「選択と集中」で、ルーマニアが作用素環論という限定された分野で世界トップ級の地位を確立したことは事実である。
ある一部の分野を伸ばすというだけなら有効なケースもあるのであろう。
ただし、そうやって一部の基礎科学に人材集中させた結果、経済は発展せず、革命に至って独裁体制は崩壊したと言うこともできるのかもしれない。
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おいおい、誰がこの記事で全トピックを紹介しきるといった? (予告通り(笑))
続きのトピック(シリーズ初回参考)は次の記事にて。まだまだお許しを(笑)
巡らせろ!! 数学者の思案(世界の数学事情編)!! これぞ賢者への道程!!
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