「1年前、
プラハにいたアインシュタインを訪ねたときのことだ。
アインシュタイン、君が話せよ。」
「僕の研究室からは公園が見えるんだ。
木や庭園もあって、
本当にいい眺めでね。」
アインシュタインが話し始めた。
「多くの人が公園内を歩き回っていた。
歩きながら物思いにふける人もいれば、
グループで熱心に身ぶりを交えて話す人もいた。」
と言って、
にやっと笑った。
「ただ、
奇妙なことに、
そこでは朝は女性、
夕方は男性しか見かけないんだ。
それで、
僕はここはどういう場所ですかと訊ねたら、
病院だと言われたのさ。」
エーレンフェストはラウエに向かって言った。
「そしたらアインシュタインはなんて言ったと思う?
『彼らは量子論に没頭していないほうの病人だ』
ってね。」
(おすすめ書籍1冊目 第2章『光の量子化』より抜粋)
いきなり去年の話で申し訳ないが、2025年は量子力学(量子論)の誕生から100周年ということで、国連総会がこれを記念して、ユネスコの「国際量子科学技術年(International Year of Quantum Science and Technology)」と定めている。
去年は一年を通じて、世界中でさまざまな行事が開催され、それを締めくくるように、(日本時間で)11月15日には日本とドイツの物理学会が共同で、量子力学100年と第二次世界大戦終結から80年の節目に合わせ、物理学の平和利用と次代への責任を誓う「未来への宣言(Declaration for the Future)」を発表した。
それでは、量子力学はなぜ「1925年に誕生した」とされているのだろうか?
最も大きな理由は、1925年にドイツの物理学者ウェルナー・ハイゼンベルクが、量子力学の基礎となる「行列力学」を発表したことにある。
(この誕生秘話は↓の記事にて。ロヴェッリ先生、まいどありがとうございます(笑))

また、翌1926年にはオーストリア出身の物理学者エルヴィン・シュレディンガーが、ハイゼンベルクとは違うアプローチで、「波動力学(シュレディンガー方程式)」を提唱した。
この1926年に、シュレディンガーによる波動力学とハイゼンベルクらによる行列力学の同等性が証明され、両者を統合した「量子力学」が完成し、多く科学史家は物理学の転換点となる画期的な年だとしている。
ここでいう「量子力学」は、「粒子の量子力学」であり、半導体・レーザー・原子核などのさまざまな分野に応用され、現代の科学技術文明を支える基礎理論となっている。
(「粒子の量子力学」、および「場の量子力学」については↓の記事も参考にされたし)


こうした応用の際に必要とされる道具立てのほとんどが1926年までに出揃ったので、この時点で量子力学の枠組みが確立され、これ以降は、できあがった理論を応用・発展する時代に入ったとみることができる。
つまり、量子力学の「完成」から100周年目である今年(2026年)も、量子力学の重要な節目であるとブログ主は考える。
こうした量子力学の誕生と完成の100周年と時を同じくして、この7月で当ブログも開設から丸5年が経過したのである!!
…
……
………うん、比較する対象が釣り合ってなさすぎるな(笑)
それでも、「量子とともに生きる」という目標を掲げ、学業に仕事に趣味にと一廉に量子論に携わってきたという自負はある!! (自信過剰と言えなくもないが(笑))
てなわけで、前置きはだいぶ長くなったが、本記事ではそんな節目に量子論を振り返ろうということで、原点にして頂点(?)である「光量子仮説(光量子論)」について綴っていこう。
参考書籍は↓。吉田伸夫先生、まいどありがとうございます(笑)
粒子としての光 ~アインシュタイン~
1905年、
粒子性と波動性が必ずしも排他的ではないという革新的なアイデアが提唱される。
提唱者は、
スイスの首都ベルンの特許局に勤務する無名のアマチュア物理学者だった。
アルベルト・アインシュタイン(1879~1955)である。
(おすすめ書籍2冊目 第1章より抜粋)
アインシュタインは、その5年前にチューリッヒ工科大学を卒業していたが、興味のある分野しか勉強しない性格が災いして、研究者として大学に残ることができなかった。
知人の口利きで特許局に就職し、電気関係の出願書類を審査する職務をこなす傍ら、わずかな空き時間を利用して図書館で文献を読みあさり、物理学の勉強を続けていた。
「奇跡の年」と呼ばれる1905年、アインシュタインは3つの画期的な理論を発表する。
・同時性の概念に変革を迫った特殊相対性理論 ・原子が実在することを実証するブラウン運動の理論 ・光が粒子性と波動性を併せ持つという光量子論
このうち、特殊相対論やブラウン運動の理論は、アインシュタインがいなくても、数年以内に別の物理学者によって考案されただろう。
しかし、光量子論は、彼の人以外に思いつける人が誰かいたか疑わしい。そう感じられるほど、それまでの常識から懸け離れた突飛な内容だった。
アインシュタインの発想がいかに飛躍していたかは、当時、光がどのようなものとして捉えられていたかを知ると納得できるだろう。
17世紀にニュートンが光は粒子の流れだと主張して以来、
「光の粒子説」は100年以上にわたってヨーロッパの学界を支配したが、
19世紀初頭になると、
ニュートンの権威を以ってしても抑えきれないほど、
光が波であることを示す実験的証拠が集まってきた。
特に有名なのは、
1805年頃にヤングが行った二重スリットの実験である。
光源から放射された光を2本の平行なスリットに通すと、
背後にあるスクリーン上に濃淡の縞模様ができる。
これは、
別々のスリットを通った光が干渉して生じる現象であり、
バラバラに飛んでくる粒子では起こるはずのないものである。
1818年にはフレネルが光の波動説を数学的な理論として展開し、
しだいに光が波だという見解が受け容れられるようになる。
決定的な進捗は、マクスウェルの電磁気学によってもたらされた。
電磁場の方程式を解くことにより、光の正体が、電場と磁場の振動が伝わっていく過程だと判明したのである。
古典物理学の金字塔ともいえるこの理論に対して、19世紀末から20世紀初頭の物理学者は、絶大な信頼を寄せていた。
量子仮説を最初に提唱したマックス・プランク(1858~1947)や特殊相対論の一歩手前まで到達していたヘンドリック・ローレンツ(1853~1928)も、マクスウェルの電磁気学に修正を加える必要性を全く感じていなかった。
ところが、アインシュタインの光量子論は、マクスウェルの権威に真っ向から立ち向かうものだった。
光量子論とは、
光を、空間のある地点に局在する
エネルギーの塊(エネルギー量子)の集まりとみなす理論である。
直観的な言い方をすれば、
光は粒子のようなものだということになる。
これは、
100年前に打倒されたはずの古くさい光の粒子説を
復活させる理論と受け取られかねない。
アインシュタインの理論に対する当初の反応は、
冷笑と黙殺に近いものだった。
それを象徴するのが、
アインシュタインをプロイセン科学アカデミー会員に推挙する請願書である。
1913年にプランクら4人の物理学者の連名で書かれたこの文書は、
「現代物理学の主要な問題のどれをとっても、
アインシュタインが卓抜した貢献をしていないものは
ほとんどありません。」
…と最大級の賛辞を贈りながら、
「光量子仮説のように、
彼といえどもときに的外れの推論をすることもありますが。」
…と言い添えている。
光量子論の評判がすこぶる悪かったのも、無理からぬことだ。
電磁波は、電場と磁場が相互に振動を誘起しあうことで発生する。バラバラに飛び交う光の粒子が、どうやって振動を誘起させられるというのか。
1901年、マルコーニが大西洋を越えて無線通信を行った際に利用した電磁波の波長は360mもあったが、この長大なうねりの中で、光の粒子たちはどのように編隊を組んで波の形を維持していたのか。
あるいは、ヤングの二重スリットの実験で、いったん二手に分かれた光の粒子が、再び出会ったときにどのように連絡を取り合って明暗の縞模様を作れるのか。
どう考えても、アインシュタインに勝ち目はなさそうだ。
にもかかわらず、物理学の歴史が示すように、光量子論は、近代と現代を分かつ科学革命の幕開けを告げることになる。
実は、この理論を、
「光とはバラバラに飛んでくる粒子の集まりだ」
…と素朴に解釈するのが、
そもそもの間違いなのである。
光量子論とは、
「光はエネルギーの塊のように振舞うが、
単なる粒子ではない」
…といういささか捉えどころない理論であり、
自己矛盾をはらんでいるとも思えるこの多義性が、
ニールス・ボーアやルイ・ド・ブロイらによる
量子論の次なる発展を可能にしたのである。
アインシュタインがいかに天才だとは言え、
光量子論を一人で作り上げることはできるはずもない。
これに先立つものとして、
ウィーンとプランクという二人の先駆者の業績を挙げておかねばならない。
喩えて言えば、
ウィーン、プランク、アインシュタインによる三段跳びの要領で、
巨大な跳躍をなし得たのである。
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…
……
………まさかのここで、次記事への引き(笑)
文章も長くなってきたので、ここで区切りを入れさせてほしい。悪しからず。
続きは、6年目突入の節目である来月に存分に綴っていこう。乞うご期待!!
そんなに待てないよと思ったら、おすすめ書籍を一読して、「量子の海」へ漕ぎだそう。
目指せ!!量子論の隣人(笑)!!これぞ賢者への道程!!

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